飲んでも良かった禁酒法 


1920年1月17日に施行されたこの法律、飲酒を禁止した法律に一般的に思われがちだが、実は、「酒の製造、販売、運搬、輸出入」 を禁止した法律で、飲酒を禁止する法では無かったのである。

むしろ酒類に携わる人々を廃業にに追い込む為の法律であった。

この法が施行されるまでに1年の猶予期間、酒に携わる人々の為の転職期間を国は設けたが、この期間に反禁酒運動家は自宅に大量の酒類を買い込み、毎晩のように酒宴を繰り広ろげ、禁酒法が終わる1933年まで続けられたという。

アメリカでの飲酒禁止運動から始まったはずの禁酒法がなぜこのような、中途半端な法律で完結してしまったのか?

絶対禁酒を唱える禁酒急進派は、議会での絶対過半数2/3を得ることができず、禁酒穏健派と手を結ぶ必要があった。

まず、憲法、中央集権に反対する自治体との妥協、これによって禁酒法憲法18条は大雑把なものとして、細かい部分は州法に委ねなくてはならなくなった。

次に宗教上の理由でお酒を扱う宗教団体病気治療の為にお酒を扱う医師達との妥協

これによってこの為の酒類製造の業者に特別許可を与えなければならなかった。

様々な妥協を繰り返し、禁酒急進派がたどり着いたのは結果として非常に曖昧な中途半端な法律であった。皮肉にも憲法18条に盛り込まれた禁酒法と各地の州法が一致するわけもなく、さらなる矛盾と混乱を生み出していったのである。

1920年代のアメリカは、華々しい経済復興の時代でもあった。

ヨ−ロッパではすでに休戦状態に入っておりパリでは講和会議が開かれようとしていた。GNPが年率5%以上増加し、すでに禁酒運動が始まったときのストイックな風潮は無く、人々は戦争からの開放感と経済繁栄に酔いしれた。

アメリカ史観の中では、この時代は「ジャズ・エイジ」と呼ばれ、人々はナイトクラブダンスホ−ル闇酒場でジャズに興じた。この頃に一世を風靡したクラブにコットンクラブがある。

特に女性を取り巻く環境の変化は著しく、参政権の確立などにより女性の社会的行動は積極的になり、コルセットの衰退、露出部分の増加、ボブカット、フリ−セックス、酒場への進出等、スカ−レットオハラの様な女性像の時代は終わりを告げた。

密造、密売はマフィアの莫大な資金源となり、彼らは違った意味で禁酒法の恩恵を受けた。彼らの組織は政治家とも強力なパイプを持ち、皮肉にも禁酒法推進派達を間接的にしかも巧妙に支援した。この時代を代表するマフィアにアル・カポネがいる。


おまけ

禁酒法時代の専門用語